日本
四季の移ろいを感じ心豊かに暮らせる国
 アジアの中でも最も東に位置する日本。弊社の本社所在地である大垣市は、日本列島のほぼ中央にあり、古くから東西交通の要衝として、経済・文化の交流点として栄えてきた岐阜県第2の都市。国内有数の地下水の自噴帯に位置しており、良質で豊富な地下水に恵まれていることから「水都」と呼ばれている。街にはきれいな水と緑があふれ、四季の移ろいを感じながら、ゆったりと心豊かに暮らすことができる。
 弊社は、この日本の中心から広く日本国内、そしてアジア地域のベトナム、ミャンマー、韓国、シンガポールを舞台に、世界に貢献する創造的な企業活動を行なっている。
牡丹園
史跡 赤坂お茶屋屋敷跡 牡丹園
春には、約800株の牡丹が見頃を迎え、多くの方が訪れる牡丹園。園内では、牡丹の他にも様々な木々や花を育てており、四季折々の美しさを楽しんでいただくことができます。
当園の牡丹は、明治・大正・昭和にかけて故矢橋龍吉翁が史跡赤坂お茶屋屋敷内の花畑に、自然を愛し、種々の優雅な草木とともに昔ながらの有機農法のもと、丹精込めて栽培してきたものです。 春に見頃を迎える牡丹だけではなく、黄金柏や御衣黄など、様々な木々や花があり、新緑や紅葉、冬に咲く寒牡丹など一年を通して自然の美しさを感じられます。門は、一年中開け放しです。
心おきなくご来園いただき、四季の移ろいを感じてください。

牡丹の株数/約800本 種類/約90種
規模/10,573㎡(約3,200坪)
見頃/4月〜5月(寒牡丹12月〜1月)
※見頃は目安であり天候等により異なります
史跡の由来
紀元一六〇〇年(慶長五年)天下分け目の関ヶ原合戦で大勝した徳川家康は、江戸に幕府を開き、以来二百六十余年に及ぶ徳川幕府の基礎を確立したが当時、江戸と京都を往復するため、中山道の四里毎に将軍が休泊する専用の旅舎を建設したのが、このお茶屋屋敷であった。
赤坂宿のお茶屋屋敷は、慶長九年(一六〇四年)の春、家康が美濃国中の諸大名に命じて造営させたもので、織田信長の岐阜城千畳敷御殿を移築し、併せて六十一棟の建物を完備したという。総面積三町四反六畝十九歩という広大な屋敷は、方形に近い城郭型式の設計で、四隅に櫓を備え、大手門を入口とし、全域を土塁空濠など構築、結構完備の豪壮なものであったが、寛永年間以後は廃絶した。近世交通史上、初期本陣の貴重な遺構であり、史跡指定となっている。明治維新のとき、払下げを受けた矢橋家が、この屋敷を守りつづけ、また牡丹園として現在に及んでいる。