文化
史跡 赤坂お茶屋屋敷跡 牡丹園
春には約90種、約800株の牡丹が咲き誇る牡丹園
岐阜県大垣市赤坂町の史跡「赤坂お茶屋屋敷跡」内にある当園の牡丹は、明治・大正・昭和にかけて故矢橋龍吉翁が、自然を愛し、昔ながらの有機農法で丹精込めて栽培してきたものです。園内では牡丹だけでなく、黄金柏や御衣黄など、さまざまな木々や花があり、新緑や紅葉、冬に咲く寒牡丹など、四季折々の美しい自然を一年を通して楽しむことができます。門は開け放しですので、心おきなくご来園いただき、四季の移ろいを感じてください。史跡「赤坂お茶屋屋敷跡」の歴史は古く、1600年に関ヶ原合戦で勝利した徳川家康が、江戸と京都を往復する将軍のために中山道沿いに建設した専用の旅舎に遡ります。慶長9年(1604年)には、家康の命により美濃国中の大名が造営にあたり、織田信長の岐阜城千畳敷御殿を移築し、計61棟の建物を備えた壮大な屋敷でした。総面積は三町四反六畝十九歩(約3.4ha)にも及び、城郭型の設計で四隅に櫓、大手門、土塁や空濠を備えた堅固な造りでしたが、寛永年間以降は廃絶しました。近世交通史上、初期本陣の貴重な遺構として史跡指定されています。明治維新の際に矢橋家がこの屋敷を払い下げにより受け継ぎ、大切に守りながら現在まで牡丹園として維持しています。